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先天性心疾患を持って生まれたしーちゃんの足跡です。初めての方は、「カテゴリーについて」と「はじめまして」を読んでね(*^.^*)

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| 2008.04.28 Monday | - | - |

2008.4.27(1年10ヶ月)
23:30
JUGEMテーマ:子供の病気


知らぬ間に
時は 過ぎ去る

心の所在がなくとも
進む事を止めない

どこに行っても 思い浮かぶのに
実体が無い


静かな時間が
何事も無かったかのように
今も刻んでいく・・・






| 2008.04.27 Sunday | しーちゃんに会いに・・・ | comments(6) |

2008.3.27(1年9ヶ月)
00:15


流れる時間

サラサラと指の隙間から落ちていく

止める事も出来ず

ただ 見ているだけ

まるで走馬灯のように 時間がコマ送り

怖いほどの静けさの中

いったい何を考えていたのだろう





しーちゃんは、チャペルにいるのかしら?
確かにあの椅子に座っていたのだけど・・・
今は、その姿を見る事も出来ない。

ヒンヤリとした空気の中、佇む私は、無に等しい。

目を瞑る事も 出来ない・・・

瞼の裏に映るあなたの笑顔が眩しすぎて 涙が出ちゃうから・・・


何故・・・こんな事になってしまったのだろう・・・

| 2008.03.27 Thursday | しーちゃんに会いに・・・ | comments(0) |

じ亀い砲覆襪反じて
18:45
JUGEMテーマ:子供の病気

しーちゃんが入院していた病棟は、1歳くらいからの子供達の病棟でした。
ちょうど同じくらいの子供達がいっぱいで、まるで幼稚園状態。

各お部屋で遊ぶ子達もいたけど、プレイルームで遊ぶ事が多かったかな・・・。
そこでは、子供たちだけでなく、親同士も友達になれました。

みんな遠くから子供の病気を治してもらおうと、家族から離れて来ています。
やっぱり心細いですよね・・・。
時には子供そっちのけで、話し込んでしまったり(滝汗)
でも、色んな情報もいただけたし、何だか心強かったです。

私が共同生活している方も、同じ病棟に何人もいらっしゃいました。
仲良くなるのは、とってもいいことなんだけど、悲しい結果になった時は、どうしようもない気持ちになりました。

あの頃は、手術すれば必ず治るって信じてました。
勿論、一緒に入院されているお子様も・・・。

でも、日々その思いは打ち砕かれて行きました。

初めて辛い経験をしたのは、宿泊施設を提供してくれている方のお子様でした。
奈良の方だったので、電車を乗り継いでお別れに伺いました。

目の前が真っ暗とは、こう言う事なのかな?って思いました。
病院を出る時は、ニコニコ笑顔で正面玄関から手を振って帰るものだと思っていましたから・・・。

正面玄関から出ることすら許されないなんて・・・悲しすぎます。
病院は元気にしてくれるところだって・・・
しんどくて辛い表情で入って、元気になってニコニコ笑顔で出て行く所だって・・・

それなのに、何人ものお友達と悲しい別れをしなければならないなんて・・・
怖くて・・・我が子と重ねる事が・・・

一回目で躓いた手術・・・
次の手術を決断するのに、どれだけの勇気がいったことか・・・

本人が決める事が出来ない以上、親が決断するしかないんだけど、
その結果が全て良い結果だと言う保障はどこにもないのです。

人の命にかかわる事を決断しなければならないなんて、こんなに酷な事はないって思いました。
でも、元気になると信じて答えを出さなければ・・・
親が信じず誰が信じるというのでしょう・・・。

その後の手術、躓きながらでも何とか乗り越える事が出来ました。
スタッフの皆様、看護師の皆様、言葉でしかありがとうの気持ちをあらわす事が出来なかったけど、
今でも心から感謝しています。

子供だけでなく、親の精神状態にもちゃんと気配りしてくれていました。

流石だと思いました。

今までも、そしてこれからも感謝の気持ちは変わらず持ち続けます。
JUGEMテーマ:子供の病気



| 2008.03.07 Friday | しーちゃん物語 | comments(0) |

ICUから復活!!
20:51
JUGEMテーマ:子供の病気


初めての手術後、しーちゃんは22日間、人工呼吸器のお世話になりました。
ICUは、とても無機質な所で、何度足を踏み込んでも嫌な所です。
こんな所で、あんな小さなしーちゃんは、いったい何を考えて、
たった15分足らずしか会えない親を待っていたのでしょうか。

聞えて来るのは、「ピッ ピッ」と言う心電図のモニターの音。
話し声といえば、ドクターと看護師の声・・・。
子供は、精神的に病んでしまうので、なるべく早く病棟に移してくれます。

長かった人工呼吸器生活中には、ベッドの上で髪も洗ってもらってました。
意識はないのですが(滝汗)
紙おむつを頭の下に敷いて洗うのです。
何日も洗うことも、とかす事もなかった髪が、
さらさらになってお下げに結んでもらっていた時には、とっても感動しました。
意識がないとは言え、長く伸ばした髪は、しーちゃんと私の自慢の髪でもあったからです。
感謝しました。
意識がないのだから、髪が汚れていても本人はなんら苦痛はないのです。
でもね、首からの点滴や、消毒等で、髪は思った以上に汚れているはず。
こんなところにまで、気を配ってくれるのですね。
ありがとう・・・。

人工呼吸器が取れても、元気に笑ってくれるわけじゃありません。
とても笑顔が出るような元気はありません。
たった15分しか会えない両親を後追いする元気さえないのです。
ただ、目を開け、呼びかけに頷き、涙をポロリと零すだけでした。
泣き叫ぶことも、抱っこをせがむことも、声さえも出す元気がないのです。

この手術はかなりしんどかったのですね。
しかし、この病院は、祈るような思いで手術を待っている人がたくさんいます。
呼吸器が外れて、わずか三日ほどで、一般病棟です。

複雑な気持ちですね(滝汗)
ICUなら、24時間看護師が付っきりです。
ある意味安心です。
子供にとって精神的にはきついかもしれないけれど、
何事もないとは言い切れないのだから、せめてもう少し・・・食事が取れるくらいまでは・・・。
そう思っても、切羽詰った患者さんは後をたちません。
押し出しにあって、一般病棟に・・・。

一般病棟では、ナースセンターに一番近い個室です。
しーちゃんは、ベッドを半分も占領するくらいの大きな酸素テントに中にいました。
肺からの抽出液を体外に出すため、ドレーンと言う管が両脇腹から一本ずつ出ていました。
抜けないように糸で縫いとめています。
痛くないのでしょうか?
その状態でも、ベッドの上を立って歩いたりします。
痛々しくて、抱っこするにもヒヤヒヤしました。

一般病棟1日目は、よく覚えています。
しんどくて、自分の体をどう扱っていいのかわからなかったのでしょう。
七転八倒・・・?
寝転がっていても、あっち向いたり、こっち向いたり、
抱っこをせがんだり、抱っこしてもじっとできず、体を色んな方向によじるのです。

水分制限はあまりにもきつかったです。
書き留めていないのではっきりとは覚えていないのですが、一日に400〜500ccくらいだったのかな?
勿論、食事込みです。
食事はまだもらえなかったけど、わずかな水分でも、お腹を壊すのです。

抱っこしてても、紙おむつに吸収されることなく、隙間から漏れてしまいます。
それでも、こんなに苦しがっている我が子をベッドには下ろせず、
汚れた服を正すことなく、抱き続けていました。
もっとも、食事を摂っていないので、きれいな物ではあったのですが・・・。
それにしても、我が子がゆえにできることなのですがね・・・。

通常18:30までの面会ですが、状態によっては20:00まで許されます。
その日も当然そうだったのだけれど・・・。


朝ICU面会に行って、そこで初めて一般病棟に移ったことを知らされます。
家族には、その旨電話で伝えました。
しかし、その後はしーちゃんから離れることができず、食事をする間も電話する間もなく、
時間だけが過ぎていきました。

あまりにも離れがたく、20:00に病院を後にすることができませんでした。
結局は、22:00過ぎまで面会を許してくれました。
心ある対応の看護師さんに感謝です。

時間も遅かったので、電車には人も少なく、そっと乗車し、疲れた体と心を引きずるように帰路につきました。

何よりも辛いのは、苦しむ我が子を見ることです。
ある意味、ICU面会が15分間と言うのは、意味のあることなのですね。

変わってあげることもできず、苦しみを和らげてあげることもできず、
ただ、そばにいて見てるだけなのです・・・無力です・・・。

でも、心の支えにはなっていると信じて看病を続けました。

日に日に元気になっていくしーちゃん。
ニコニコ笑って、病棟内を駆け回るのにどれだけも時間はかかりませんでした。

左の写真が手術2日前。
チアノーゼで唇が紫色です。
でも、術後には、右の写真のように、綺麗な色になりました。
まだ、心臓の壁には大きな穴が開いているので、完璧ではないけれど、
肺への血液の量が増えた分、綺麗な色になりました。


そして、間もなく、ベッドの上でにこやかに遊ぶようになりました。
定番のお医者さんごっこです。
検温しているようね(^ー^)
休憩にお茶など飲んで(*^.^*)
お友達もたくさんできました。


ICUでのあの弱りようが嘘のようなやんちゃぶり。
面会に行くたびに、看護師さんに呼び止められはしないかと、冷や冷や物でした。
だって、いたずら大好きだったの。

まぁ、退屈だから、それも仕方ないのかもしれませんね。

でもね、おトイレでオイタしたときは、参りました(滝汗)

病院のトイレには、汚物を流すところがあります。
60センチ角くらいかな?
お水が張ってあるんだけど、蛇口から水が出るようになっていて、
バーを下ろすと水洗トイレのように流れるんです。

汚物を流す所だから、綺麗でないのは分かりきった事。
小さい子供はそんなことなんて、知った事ではありません。
退屈な時に、絶好の水遊びば発見となると、遊んじゃうわよね〜

そっ!!しーちゃんは、そこで遊んじゃったのです。
幼児がコップ代わりに使う、マグマグを使ってね(滝汗)

勿論、マグマグは廃棄処分(涙)


でもね・・・予測できると思うのよね〜(滝汗)
小さい子供がその場所に入れないように、何か工夫をして欲しかったな・・・

その後、しーちゃんはそこで遊ぶ事はなかったけどね。
でも、こっそりやってたかもね(滝汗) やっていないって保障はないもんね(滝汗)

今さらだけど・・・大丈夫だったのかしらね(;^_^A



| 2008.02.13 Wednesday | しーちゃん物語 | comments(0) |

しーちゃん物語・・・一回目の山・・・
01:58
おぎゃ〜と生まれて、この世を去るまでたったの5459日・・・

我が大切なしーちゃんは、いとも簡単にお空へと行ってしまったのです。
もともと心臓に欠陥を持って生まれてきて、度重なる手術も乗り越えてきたのだけれど、
ある日突然に私の前から消えてしまったのです。
たった16年足らずの思い出を残して・・・

その日から1年と7ヶ月が、知らぬ間に過ぎていました。
しーちゃんが自分の闘病記を書いてほしいと言っていたので、いつかは・・・と思っていたのですが、時間だけがいたずらに過ぎていくばかりでした。

しーちゃんは、とっても優しい子で、とにかく友達を作るにはどうすればいいのか、
いつも考えているような子でした。

そして、やっとほんとの意味での友達関係を、自分の手で紡げるようになったと思った高校生活を
ほんの3ヶ月足らずで終止符を打つ事になってしまったのです。

しーちゃんの努力は色んな形で、私たちの心の中に残っています。
とてもとても不憫な子だと心の中で思っていたのですが、
300人という、沢山の人がお別れに集まってくれたのを見た時は、
「あ〜、私の知らないところで、しーちゃんはしっかりと自分を残し、有意義な人生を送る事が出来ていたんだな〜」って気付かされました。

助けてあげることは出来なかったけれど、少しだけ・・・少しだけ気持ちが軽くなりました。



2006年、6月末・・・
今思うと、漠然となんだけど、しーちゃんの様子にいつもと違うような雰囲気を覚えていたような気がします。
いつもなら、寝静まった後、しーちゃんのベッドの傍らに、しばらく佇む事などなかったのですが、
この世を去る二日前の夜中、私はしばらくの間、眠ったしーちゃんの側にいたのです。
いつもなら、様子を見て、エアコンの温度を確認して、部屋を後にするのだけど、
あの日は何故か部屋を出ることが出来なかったのです。
あの時、しーちゃんの変化に気が付いていれば、もしかしたらこんな事になっていなかったのかもしれない・・・。
後悔と自責は、決して拭い去る事は出来ません。


その日からさかのぼる事約16年・・・
しーちゃんは、我が家の長女として元気に生まれてきたのです。
泣き声が少々弱々しかったものの、産院の先生は、しーちゃんの異常を見つけることが出来ませんでした。
しーちゃんの病気が診断されたのは、実に生まれてから5ヶ月経ってからだったのです。
ファロー四徴症肺動脈閉鎖の極形と診断されました。

このまま何もしなければ、4〜5歳までの命だと言われました。
最低3回の手術。成功率は60%。

結局生涯5回の手術を受け、在宅酸素治療をしながら、学校生活を送り、
大好きだった学校で倒れて、そのまま永眠したのです。

長くて辛い闘病生活を送った時期もあったのだけど、
ある意味、色んな覚悟をその度々にしながら、
しーちゃんとしっかりと歩く事が出来たと思っています。
それを思うと、交通事故等で突然に大切な人を亡くされた方に比べれば、もしかしたら私は幸せだったのかもしれない。
大切な大切な我が子を失う事は、わが身が切り裂かれるほど辛いのだけれど、
毎日毎日、一秒一秒をしっかりと刻んで生きてこれたと思うからです。

そして何よりも、しーちゃんのピュアさが、今だに神聖なものに思われて、
いなくなった今でも、しーちゃんの思い出と一緒に、しっかりと生きていかなければならないと言う気持ちになるのです。

しーちゃんの強さは、どこから来ていたのでしょうか・・・
生まれてまだ何年も経たないうちから、親と引き離されて、止む無く病院生活を送る事にななるのですが、
彼女は、小さいながらも強かに生きていました。
それはそれは、一生懸命に・・・。


生後5ヶ月・1年5ヶ月・・・二度のカテーテル検査の結果病名が決まり、
入退院を繰り返し、実生活を送れるようになったのは、4歳5ヶ月の時だったのです。

まだ満足に歩けないにの入院をたため、不安定ながらも一人で歩いていたしーちゃんは、ヨチヨチ歩きになってしまいました。
付き添いではなく、面会制だったK病院では、親がいない時小さい子供たちは、ベッドから出してもらえないのです。
目が行き届かないので仕方ないといえば仕方のないことなのかも知れないのだけど・・・。

退屈でお昼寝してしまい、面会終了時に寝かせる事が出来ないで帰る時は、
本当に後ろ髪を引かれる思いでした。
お昼寝くらいだったら、まだいいのかもしれない。
与えられた水分を上手く摂取することが出来ず、軽い脱水状態になるお子さんは何人もいらっしゃいました。
ベッドの柵の間から哺乳瓶やマグカップを落としてしまったり、
親がいないので、情緒不安定になり、水分を摂ろうとしなかったり・・・。
勿論、食事も十分に摂る事は出来なかったのです。

小さい子供にとって、一番頼っている親がいない。
しかも、時間の観念のない幼時にとって、待つ時間というのは絶望の底だったのではないのでしょうか。

そして、たった3時間半の親との時間。
今思い起こしても、切なくなってしまいます。

今は、面会時間も改善されて、もっと長い時間親子の時間が持てるようになっています。
看護師さんだけでは、どうしても手が行き届かないのです。
それは仕方のない事なのだから、家族に出来る事はさせてあげるべきだと思います。


しーちゃんは、4回の手術を乗り越えて、退院する事になります。
何が不安だったかって・・・
それは、入院中の私の生活です。
しーちゃんの病気はお医者様に任せるしかないのですが、自分の生活は自分でどうにかしなければいけません。
地元では治療は出来ないと言われ、大阪の病院を選びました。
付き添いではない以上、住む所を手配しなくてはいけないのです。

一人暮らしの経験はなく、勿論なくても出来る自信はありましたが、
問題なのは、病院の近くに物件があるか・・・経済的にはどうか・・・と言う事です。

初めてK病院に入院した時、周りのお母さん方に聞いて、調べました。
今では、マクドナルドハウスが出来ていて、宿の心配をする事も無いようです。
ありがたいことですね。

当時は、西も東も分からず、とりあえず大阪に住む親戚を頼るしかありませんでした。
母の妹のマンションなんだけど・・・

やっぱり気を使いました。
看病以上に、心に重いものを感じました。

なぜかと言うと、叔母も体が十分ではなかったからです。
若い頃に腎臓を患い、出産すれば透析になると言われたですが、
わが身と引き換えに、二人の宝を手にしたのです。
可愛い可愛い女の子。
長女は私と一歳違いです。

体を患うことは、人生にとってとっても不利な事が沢山あるけど、
子供は、鎹(かすがい)です。
遅かれ早かれ体を患うのだったら、結果的に子供がいてよかったのだと思います。
生きる力になるからです。

叔母は、今も病と闘いながら自分の足跡を、しっかりと残していっています。

そんな叔母の家にお世話になっていたのです。
当時、二人の従姉妹は、まだ独身で、次女は大学生でした。
私は、面会時間が3時からと言う事もあり、昼すぎに家を出ましたが、
帰りは、6時半の面会を終え、帰宅する事は7時半は過ぎていました。
ですから、食事の支度も手伝う事が出来ず、ほんとに気を使う毎日でした。

面会で、しーちゃんと遊んであげ、彼女のストレスを排除してあげるべき努力をし、
帰ってからも、息を抜くことができず、
正直言って、ちょっと辛かったです。


入院中に色々な情報を集めて、病院からさほど遠くない場所に、共同で住める場所を見つけました。
それから後、しーちゃんが入院するたびにお世話になることになる所です。

ボランティアですね。
自前のマンションを開放してくださり、私のように地方から来ている家族に場所を提供してくださっているのです。
当時、光熱費込みで1000円でした。
3部屋あるのですが、1部屋2人で使うようになっていました。
でも、込み合っている時は3人同室の時もありました。

みんな、止まる場所がなくて困っているのです。
それでもありがたいと思い、共同生活をさせていただきました。
同じ境遇の者達の集まりです。
一人では不安な時も、話し合っていると、何だか落ち着きました。

ただ、お子様の病状が悪い時、それはそれは気を使いました。
逆に、我が子の状態が悪い時は、彼女達にも大変な気を使わせたのでしょう。

今でも、交流のあるお母さんは、何人かいます。
ま、「戦友」ってとこかな?
でも、悲しいかな、お子さんが頑張っていらっしゃる方は、少ないです。
ほんとに・・・こんな事数えたくないのだけど・・・
殆どの方は、しーちゃん同様、頑張ったけど、少なすぎる思い出を残して旅立たれています。

大阪のK病院には、難病のお子様が全国から集まっているんだな・・・ってつくづく感じます。

そんな病院で、しーちゃんは、手術を受け、成功率60%の壁を乗り越えて、
幼稚園・小学校・中学校・高校と、極力普通に近い生活を送らせてもらうことができました。

しーちゃんは、一度目の手術で命を落としそうになりました。
肺動脈がなかったので、代わりになるものを、作ったのです。
ある程度の歳になるまで取り替えなくてもいいようにと言う理由と、
根治手術の為に心臓を鍛えると言う理由から、
1歳7ヶ月のしーちゃんの体には、少々大きいサイズの人工血管を埋め込んだのです。

それまで、細々としか流れていなかったものだから、
肺が送られてくる血液を処理できず、水浸し状態でした。
人工呼吸器では、間に合わず、先生たちが夜通し手動で人工呼吸をしてくださいました。
ラグビーボールのような黒いやつですね。
なんと言う名前なのでしょう?

それでも、肺の換気は難しく、反対の肺にまで血液が溢れてしまって、
酸素の値が20を切ってしまったと記憶しています。
なるべく酸素を使わないようにと、しーちゃんは全身を氷で冷やされ、
強い麻酔で、深い深い眠りに付かされていました。

目を閉じる事もできないので、保護の為軟膏を塗ってもらい、ガーゼで覆ってありました。
胸は、圧の強い人工呼吸で、子供の呼吸と思えないほどの大きな動きをしていました。

詳しくは「初めての手術」を参照してください。

過酷な第一回目の山を、しーちゃんは見事に乗り越えてくれました。
一度は遠くへ行きかけていたけど、私たちの所にちゃんと帰ってきてくれました。

これから、しーちゃんのやんちゃぶり発揮です(=^_^=)





| 2008.02.09 Saturday | しーちゃん物語 | comments(0) |